大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所松江支部 昭和29年(う)94号 判決

控訴人 被告人 青山光市

弁護人 篠田嘉一郎

検察官 西向井忠実

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴趣意は、記録中の弁護人名義の控訴趣意書記載のとおりであり、所論はこれを要約すれば結局(一)被告人は原判示の如き広告をした覚えはなく、本件広告に全く何等の関係もないのに拘らず、原審が信憑性の乏しい室田玉治の虚構の証言を採用し、被告人が原判示の如き広告をしたものと認定したのは、事実の誤認を犯したものである。(二)本件広告は果して何人の仕業であるかの点を別としても、原判示の如き広告を新聞に掲載すること自体犯罪とならないことは、次の理由によつて明らかである。即ち(1) 広告の内容そのものは虚偽のものであつても、その文言を客観的にみるに、これを捉えて虚偽の風説を流布し、或いは偽計を用いて他人の業務を妨害するに足る行為があつたものと解するのは相当でない。本件においては、法益に対する侵害行為そのものが存しないのである。(2) 仮に、犯罪行為があつたものとなし得るとしても、本件による被害者が、果して日立ミシン販売株式会社、同会社農協直売部島根県支部或いは同支部長たる遠藤武吉個人のいずれであるか全く明確でない。次に(3) 本件広告の文言は殊更日立ミシンの品質、性能を批判し、或いはこれを他の会社の製品と比較してその優劣を評価せんとするものではなく、又、その商標を潜用せんとするものでもない。仮に、実際の価格よりも高価な値段を以て広告したとすれば、或いは何等かの弊害を生じたかも知れないが、本件はその反対の場合に該当し、実際上日立ミシンの売行が悪くなつた訳でもなく、毫も右会社の業務を妨害していないのである。然るに、原審が被告人に対し有罪の言渡をなしたのは極めて不当であるというに帰着する。

よつて、所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所が取調べた証拠を精査し、先ず控訴趣意中(一)の点について判断するに、原審証人室田玉治の証言を他の諸般の証拠と彼此対比して仔細に検討するとき、同証人が故ら虚偽の供述に出でた形跡は毫もこれを窺うことができないのみか、当審公判廷における同証人の証言及びその供述態度に徴しても、同証人が真実を吐露したものであることが認められる。原判決挙示の証拠により、被告人が原判示の如き広告をした事実は、優にこれを認定するに足り、原判決には原審が所論の如き事実の誤認を犯した形跡は全くこれを発見することができない。次に(二)の各点について判断するに(1) 本件広告の文言と原判決挙示の証拠によつて認め得る被告人の営業の状況、被告人が本件広告をなすに至つた動機等諸般の事情を綜合して考察すれば、被告人が極めて巧妙な方法によつて虚偽の風説を流布し、日立ミシン販売株式会社の業務を妨害するに足る広告をしたことを断ずることができる。本件においては、法益に対する侵害行為そのものが存しないとの所論は、弁護人独自の見解にしか過ぎない。(2) 本件広告が直接には同会社島根支部の販売を妨害せんとしたものであることは、原判決挙示の証拠によつて明らかであるが、それは畢竟同会社そのものの業務を妨害せんとしたことに外ならないのであるから、本件による被害者が何人であるかその明確を欠くとの所論は当らない。(3) 本来業務妨害罪の成立には妨害の結果を発生せしめるに足る行為あるを以て足り必ずしも現実に妨害の結果が発生したことを要しないものと解すべきであるから、これと異つた見解に立脚せる所論は採用し難いのみならず本件広告が現実に同会社島根支部の販売に悪影響を及ぼしたことは、原判決挙示の証拠によつて窺い得るところである。弁護人の論旨はいずれもこれを採用することができない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条、第一八一条第一項により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平井林 裁判官 藤間忠顕 裁判官 組原政男)

弁護人篠田嘉一郎の控訴趣意

一、被告人は起訴状記載の広告を掲載せしめたものでないから、その広告に関しては何等の関係もない。原判決が措信するに足らない室田玉治の虚構の証言を採用して被告人に於いて右広告を掲載せしめたものと認定したことは事実を誤認せる不当の判決である。右証人室田玉治の供述の信憑力のないこと及び被告人に犯罪の責任のないことは原審における弁護人森安敏暢の弁護要旨に詳細論証して居るからこれを援用する。

二、本件起訴状に指摘した広告の文句は、これを客観的に検討してそれ自体日立ミシン販売株式会社(同広告文に併記した他のミシン業者も同様である)の業務を妨害する効果のあるものではない。何となれば(1) この広告は日立ミシンの性能、品質を批判しても居らず、他店のミシンと比較してその優劣を評価しても居ない。又日立ミシンの商標を潜用し同一品名の下に告訴会社の販売品以外の物を販売しようとしたものでもない。殊に所謂三輪商事社なる業者は実在しない虚無のものであるというのであるから告訴会社としては何等痛痒を感じない訳である。(2) 仮りに三輪商事社なる業者が実在するものとして考えて見ても日立ミシンは告訴会社の商品以外には実存しないから告訴会社がこれを分譲しない限り所謂商事社の広告において告訴会社が影響を受くる懸念はない。若し右広告の販売価格が告訴会社の実際の価格より高価であれば或は右広告を見た需要者は日立ミシンは高いと言つて他社のミシンを買う気持を起すかも知れないが、本件に関する限りその心配はない。(3) 告訴会社の日立ミシンを販売して居る業者は出雲市を中心としては、出雲市渡橋町岡ミシン店、同市高砂町簸川中央連合農業協同組合、簸川郡長浜村森山ミシン店(平田町にある同支店共)同郡荘原村錦織ミシン店等があるが、これ等の商店で右広告のために日立ミシンの売行きが悪くなつたという事実はなく又同店等が取扱つているその他のミシンの売行きがよくなつたとか悪くなつたという事実もない。

三、本件起訴状には被告人を広告の犯人と指定して「ミシン販売の競争激甚を加えるに至り自己のミシン販売を有利にみちびく為め」(原判決はこの犯罪の縁由を判示していない)に……虚偽の広告を新聞紙に掲載せしめたという訴因を記載して居る。若し被告人がこの広告を掲載(仮定)することに因つて自己のミシン販売を有利に導くことを意図したものとすれば被告人は商機を解せず社会の情偽に通じない暗愚の人物と言はねばならぬ。ところが被告人は人並の常識を備えた商人であるから自己の営業に不利益を及ぼすような本件の如き広告を故らに掲載する気遣いはない。即ち、1被告人は有限会社青山ミシン商会の代表取締役としてミシン販売、修理業を経営し、その取扱つている商品は「タカラミシン、及びニユホープミシン」丈けである。而してこの二種のミシンは日立ミシンと同一程度の品位を有し、その売価も亦一台二万三千円程度である。従つて同一品位を有する他店のミシン(本件では日立ミシン)が低価に売却せられることは即ち自家の商品も勢い値引をしなければ太力打ちが出来なくなる道理である。2ところが本件の広告は被告人の扱つて居るミシンと同品位程度の日立ミシン、その他数種のミシンの廉価月賦販売の提供であるからこれが実現すれば被告人の商店は相当不利益なる打撃を受けることは想像に難くないが、被告人方の商品がこの広告の為めに多量に売れ行くものとは思はれない。従つて本件の広告の主が被告人であるという推理は不合理である。3ところが本件広告と略ぼ同様な広告を時を同じくして山陰新聞紙上に掲載したものがある。この広告には本件広告の外に品位の稍々劣るフエーザーミシン一六、〇〇〇とノーリツミシン一四、〇〇〇が加えられている。その意図するところは判らないが、これを本件広告と綜合して考えると本件広告を被告人が掲載せしめたものと認めるのは見当違いである。

四、本件の訴因は刑法第二百三十三条に該当する虚偽の風説流布又は偽計を用いたものとして「実在しない三輪商事社の名を用い販売しないミシンの月賦販売広告を産業経済新聞紙上に掲載し読者に配布したというに在る、成るほどその広告自体は虚偽ではあるが……それが風説の流布とか又は偽計というものに該るだろうか、単に虚無の事柄を列べたまでであつて(イ)虚無な商店名だから風説だとか、偽計だとか(ロ)虚無な月賦販売を書いたから風説だとか、偽計だとか言うのでは余りにも漠然としている。この程度の記事ではまだ犯罪性を肯定することは出来ないものと思う。

五、又本件の被害を日立ミシン販売株式会社に限定して居るのは如何なる意味であるか。告訴状における告訴人の署名を見れば同会社であるが同会社代表者大谷取締役に対する岸検察官の第一回供述調書(昭和二十八年二月一日附)の内容を読めば日立ミシン株式会社農協直売部島根県支部(支部長遠藤武吉)が直接の被害者に当るようである。又検事の起訴状には日立ミシン販売株式会社島根支部の営業妨害として記載し、原審判決は被害者は同会社であると認め妨害した営業は同会社が出雲市今市町所在同社島根支部に於けるその営業であると判示している。以上所謂島根支部(又は農協直売部島根支部)と称するものの性格は同会社自身の営業所であり遠藤武吉はその使用人であるのか。遠藤武吉が会社の島根支部という名義の下に同人の計算に於て個人的に日立ミシンの販売業をして居り本件の被害者に相当するのか、而して所謂農協直売部島根支部では農協を相手とする取引のみに限られているかどうかも不明確である。この点は後に述べる諸種の事項に関連があるから当審における審理によりこれを明確にしたい。

六、本件の広告記事自体は日立ミシンの製造及販売の業務を妨害し得る性能を有して居ない。1、広告主たる三輪商事社なるものが実在して、この広告をしたと仮定しても日立ミシン一台の卸値は一九、〇〇〇円(前掲大谷代表取締役の供述調書)であり日立ミシン会社が卸売をしてやらない限り広告面の商取引は実現不能であり他に同一品名のミシンは現存しないから、かかる広告の存否に拘らず営業上の妨害は実現しない。仮りに三輪商事社が原価を切つて競争に出たとしても商事上の競争であるから広告自体は業務妨害ということは出来ない。2、広告面の営業主が虚無の人であつたとすれば、なおさらである。日立ミシンを販売して居る店は二の(3) に掲げた如くで、これらの商店が日立ミシンを取扱つている経路は不明であるが同店等が右広告の為めに実害を受けて居ないことは前項の事由で明かであると思う。その他同広告に列記してある他のミシンの取扱店も同広告を商売上歯牙にかけるに足らないものとして同志打ちもして居ないし見送つていると思はれるのに、ひとり告訴会社とか同会社島根支部とかが甚大なる営業の妨害を被つたということは首肯出来ない。前掲日立ミシン会社代表者の供述調書によれば、この広告の為めに売買契約を解除する人が出たというけれども既に成立して居る契約を解除するためには法に定めた解除原因が存在しなければならぬ。一片の広告が出たから解除されたというが如き法的に意味はない。又この広告が出たばかりで県下各農協との数十件による契約が流れたという供述の如きは夢遊病者の神経性錯覚にも等しいもので堅実な地盤と信用の上に立つ日立ミシン会社ともある一流会社の業務が一片のしかも一回の本件広告位で甚大なる衝撃を受けたとか、又思慮ある県下の多数の農協が揃いも揃つて一片の新聞広告を盲信して契約破棄の挙に出たということは到底首肯することは出来ない。3、又この広告が出たために被告人の会社の扱つている「タカラミシン」や「ニユホープミシン」の売れ行きが良くなつた事実もなく、特に告訴人会社の得意先だという県下農協に進出して告訴人会社の得意を奪つた事実もない。既に述べた如くこの広告の販売方法は被告人の会社の商売上には些の利益をもたらすものではない。

七、本件広告の狙いが那辺に存するか判らないが、これを被告人の所為として措信する価値なき室田玉治の供述を金科玉条と頼み告訴人日立ミシン会社が告訴を敢てしたのは被告人に刑事上の責任を負はしめることを希望し目的としたものではなく、その裏面にはこの広告を原因として被告人又は被告人の会社から多額の損害賠償金を獲得せんとする謀略が密んでいるように感ずる。仄聞するところではこの怪広告の出たのを機会に、これを被告人の行為だとして日立ミシン会社(同会社本店の本意か否かは知らぬ)の名の下に数十万円の損害賠償を請求する謀議が出雲市内二三の利権屋の間に行はれ、刑事事件の進展とにらみ合せて提訴するとか既に提訴したとか言うことである(前掲代表取締役大谷泰造供述調書中に損害の片鱗を現わしている)。出雲市を中心とする簸川郡内におけるミシン販売店、同修理業者は約二十六七軒あり中小商工業者の経営難の現状に於て十万円の純益を得ることも容易でないのに一回の怪広告に籍口して数十万円のボロイ儲けが出来れば是位耳寄りの有利な商売はないと思う。

八、以上陳述する如く本件広告は被告人の作為したものでなく、広告文自体が業務妨害の性能を持つて居ないことを徹底的に御審理を仰ぐ次第であります。原審証人室田玉治の再訊問を申立てます。その他公判期日までに他の証拠申立をする予定であります。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例